坂本修学院 - 乙護法堂

乙護法堂(おとごほうどう)って何?

背振山の守護神『乙護法善神(おとごほうぜんじん)』をお祀りしたお堂のことを乙護法堂といいます。
背振山信仰の中心地、中宮の霊仙寺内にあります。

DSCN1066.JPG現在の乙護法堂

乙護法堂の建立については、最澄上人(天台宗宗祖)によるといわれています。平安の頃、最澄上人は中国に渡る際に、海上安全を祈り背振山に登山されました。そのとき、乙護法善神が出現し、唐へ一緒についていったといわれています。
日本へ無事にもどられた最澄上人は、背振山の中宮に講堂(僧侶の勉強の場)・龍樹堂(龍樹菩薩を祀るお堂)・乙護法堂を建立したといわれています。
現在のお堂は、嘉永5年(1852)十代藩主鍋島直正の代に再建されたものです。

乙護法善神の由来

印度南天竺国に徳善(とくぜん)大王という王がいて、この大王には15人の王子がいました。ところが15番目の王子が、生後7日にしていなくなってしまいました。そこで徳善大王は、龍樹菩薩(りゅうじゅぼさつ)に頼んで王子を見つけてもらうことにしました。龍樹菩薩は、日本の背振山に王子がいることを知り、王にそのことを報告しました。すると王は大変喜び、14人の王子を引連れ、龍樹菩薩とともに背振山に赴き、徳善大王は背振山の鎮守「背振権現(弁財天)」となったといわれています。(「渓嵐拾葉集(けいらんしゅうようしゅう)」の説話より)
乙護法善神の『乙』には、末という意味があり、この場合は15番目の王子をあらわしています。

DSCN1163.JPG背振山全体図(多良正裕氏寄贈)

乙護法善神ってどんな格好?

不動明王の化身といわれる乙護法善神は、左手に独鈷杵(とっこしょ)、右手に杖を持ち、頭髪が特徴的で、たくさんの田螺(タニシ)がくっついた様な渦巻き状の螺髪をされていることから『田螺仏(たにしぶつ)』とも呼ばれています。

乙護法善神.jpg

高僧に仕えた使役神『乙護法善神』

乙護法善神は、背振山と関係の深い性空上人や皇慶阿闍梨といった高僧に仕え、使役したといわれています。
庶民からは、上宮の弁財天を水神、中宮の乙護法善神を山神として信仰されていました。
この背振山の乙護法信仰は、性空上人を通じて書写山や阿蘇山にも伝播しています。

性空上人とは…

天暦元年(947)より19年間、背振山に住して坊舎を再建するなど、多くの功績を残された背振山中興の祖。のちに、書写山へ移り円教寺を開創された高僧である。

皇慶阿闍梨とは…

性空上人の甥で、比叡山東塔南谷井坊に住んでいた天台密教谷流の流祖である。
延殷とともに背振山に登り、一夏修行を行う。

乙護法善神のご利益

◎足腰強健 ◎除災招福 ◎田畑の虫除け etc.